2月11日放送の「ひとモノガタリ『若者のすべて~失われた世代のあなたへ~』」(NHK総合)。フジファブリック結成時の初期メンバーが登場し、2009年に逝去したボーカル&ギターの志村正彦さんへの想いを語りました。
■志村、逝去から10年
【フジファブリックの音楽に】
支えられている「失われた世代」。一人の若者が、人生をかけて残した音楽と、かつて若者だった人たちの物語です。
ひとモノガタリ
「若者のすべて~失われた世代のあなたへ~」
11(火)午後6:05[総合]https://t.co/vIFocYpYYZ pic.twitter.com/81tQ6q86I6— NHK広報局 (@NHK_PR) February 10, 2020
フジファブリックのメジャーデビューは2004年。その後、絶頂期を迎えた2009年に、作詞・作曲を担当していた志村さんが29歳で逝去しました。
富士吉田市では、志村さんの命日と誕生日に合わせて、防災行政無線のチャイム音をフジファブリックのメロディーに変更。毎年、全国から多くのファンが訪れています。
番組では、Bank Bandや槇原敬之さんら多くのミュージシャンにカバーされた「若者のすべて」、「茜色の夕日」などフジファブリックの名曲を紹介。
さらに、貴重な高校時代のバンド演奏、地元での凱旋ライブ「Live at 富士五湖文化センター」などの映像から、志村さんの在りし日を振り返ります。
昨年、地元のNHK甲府放送局で制作・放送されたこの番組が、2月11日に全国放送されました。
■フジファブリック初期メンバーが語る志村
フジファブリックの始まりは、高校時代、同級生と結成したバンドです。
番組では、初期メンバーの小俣梓司さん(key.)、渡辺隆之さん(Drs.)、渡邊平蔵さん(Ba.)が思い出を語りました。
メンバーが上京して最初に作った曲は、「茜色の夕日」。
渡邊さんが「高校時代の曲とは違った」と話すと、渡辺さんも「歌詞もメロディーも、(志村さんが)自分の心として吐き出せた」と応えます。
また、生まれ育った町の思い出をモチーフにした楽曲「陽炎」について、小俣さんは「あいつはすごく富士吉田が好きで。それが音楽に表現されている」と懐かしみました。
都内のライブハウスなどで活動していた中、渡邊さんは家業を継ぐため、小俣さんは弁護士になるためバンドを脱退。渡辺さんもバンドを離れます。
小俣さんは「足手まといじゃないですけど……中途半端にできないなと。正彦に『音楽でプロになりたい』っていう気持ちがハッキリあったので」と、当時の心境を明かしました。
■志村「喜びを感じる時なんて…」初期メンバーが語る今なお色褪せない存在感
【フジファブリック『FAB BOX Ⅱ』よりティーザーMOVIE(Live at 富士五湖文化センター)】
3人が脱退した後、メジャーデビューを果たした志村さんは、2008年に故郷・富士吉田での凱旋ライブを実現。
一方、司法試験の勉強を続けていた小俣さんは、この時はじめて志村さんのライブを観たそう。
小俣さんは「わぁ、すっげぇ頑張ってるなと。曲だって、あれだけ何曲も作り込んで。あいつが1曲作るのにどれだけ大変か見ていますから。あいつは本当に夢叶えたなと。負けてらんねーなという気持ちがありましたね」と振り返ります。
その後、大学院に入った小俣さん。志村さんが亡くなってから5年後、猛勉強の末、ついに弁護士に。それからも行き詰まった時に頭をよぎるのは、凱旋ライブで志村さんが語った言葉だそう。
番組ではその志村さんの言葉が紹介されました。
「プロミュージシャンを目指すこと、アーティストを目指すことっていうのは、のほほんと楽しそうにやってるように見えますけど、実はそれだけではなかったりして。喜びを感じる時なんて、何かを成し遂げた一瞬だけであったりして。そういう気持ちを全部含め、いろんな出会いや別れや、いろんなコトやモノがあって今日という日がある」
小俣さんは、「すごい大変だったと思うんです。正彦は。あいつはあんだけ頑張ったんだしなって。それだけ、俺はまだ頑張っていないなと思って曲を聴くこともありますね。まだ頑張れる! って」と志村さんへの想いを語りました。
■愛され続ける志村にネットも反響
番組ではそのほか、「若者のすべて」に励まされ、諦めていた夢を再び追い始めたファンや、防災無線のチャイム音をフジファブリックの曲に変えるよう、2年かけて周囲を説得した富士吉田市役所に勤める同級生などが紹介されました。
ネット上には、「初期メンバーのフジファブリックのライブ映像も拝見できて感無量です」「涙なしには観れなかった。彼を愛する人達1人1人の心の中で生き続けているんだと思えた」「志村くんはいつまでも色々な人に影響を与えて、愛されているんだな、と感じました」との反響が上がっています。
今も色褪せない志村さんの存在感に、改めて胸を打たれた方も多かったのではないでしょうか。
(文:MAIKO)