12月20日放送の『氷川きよし 22年の感謝を込めて 限界突破RADIO』(文化放送)では、氷川さんがデビュー当時を振り返る場面や楽曲への想いを語る場面がありました。
(画像:時事)
■氷川きよし、野次もバネに「叩かれて叩かれて…」鍛錬を繰り返したひたむきな心
年内で活動休止をする氷川さんが20年以上にわたり、文化放送で冠番組を務めてきたことを記念し、リスナーへ感謝を伝える特別番組として放送された『氷川きよし 22年の感謝を込めて 限界突破RADIO』。
⏰今夜19:00-21:00放送
『氷川きよし 22年の感謝を込めて 限界突破RADIO 』
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— 文化放送 FM91.6&AM1134 (@joqrpr) December 20, 2022
番組では、リスナーから届いたリクエストに応えて氷川さんの楽曲を流しました。
最初の1曲は、氷川さんのデビュー曲『箱根八里の半次郎』。
氷川さんは、この曲について「最初はビックリしましたよね、デビュー曲が『箱根八里の半次郎』って言われた時に何で私がって思ったんですけど…」と当時の心境を本音で打ち明けます。
「作詞の松井由利夫先生にお会いした時にお応えしたいって絶対にそのチャンスを大ヒット曲に結び付けたい、それが毎日の戦いでしたね」と、がむしゃらだったデビュー当時を振り返ります。
デビュー当時の活動についても「キャンペーン、キャンペーンだったから。レコード屋さんの前で歌ったりとか公民館で歌ったりとか、そういう日々だった」と回想。
そういった活動の中で「テレビ沢山出れるように頑張ってね」と応援の声があった一方で「野次を飛ばす人とかもいましたよ。『もっと演歌っぽくしろ~』とか」と告白します。
しかし「それがバネになりましたよね」「ちやほやされてるだけじゃ芸能界って伸びませんね。叩かれて叩かれて、そこで頑張っていこうって」と悔しい思いをしたことで、きちんと結果を出そうという前向きな気持ちが生まれたとします。
また「人間っていい事ばかり言われると勘違いしちゃうじゃないですか。でもどこか自分を客観的に見てたので、売れようが売れまいがテンション変わらない自分でいたいなって凄い思ってましたね」とコメント。
周りの言葉に左右されないことを大切にしていたようでした。
氷川きよし『ボヘミアン・ラプソディ』は“生きる誓い”
番組後半にはQueenの『ボヘミアン・ラプソディ』を氷川さんが日本語カバーした『Papillon(パピヨン)-ボヘミアン・ラプソディ-』をリクエストするメッセージが。
氷川さんは、この楽曲を流すにあたり「私はこのフレディ・マーキュリーのQueenの映画をですね、2回映画館で観まして。フレディのスターであって、あれだけの歌唱力があって沢山の民衆に好かれても、お金も地位もあったって、やっぱりこう孤独感…周りの人たちは皆ハッピーになってるのに、家庭があったり家族団欒の時間だったりしてるのに、自分一人だけ切ない、この寂しさとか埋めれない孤独感、それを感じた時にこの人の想いを日本語で伝えることがこの方に対しての自分は供養だというふうに思って日本語でこの想いを全部感じて追悼したいっていう想いから湯川れい子先生にQueen側に了承を得て日本語に翻訳していただきました」と、カバーした理由を明かします。
また「日本語にしてもらった時に自分の命に沁みるように一つ一つの言葉が入ってきて…」「自分はまた生きる誓いとしてカバーさせていただいた作品です」と楽曲への想いも語りました。
これらの話にネット上では「ほんと大変だったんだなぁ」「ボラプはKiinaの『生きる誓い』だったのか。。。やっぱり大好きだよこの曲」「私も強く謙虚に生きていこうと思ったよ。ボヘミアンラプソディ流れて良かった」といった声があがっていました。
デビュー当時について、また楽曲への想いなどを話していた氷川さん。
沢山の苦労や葛藤を乗り越えて、22年間の芸能活動を続けてきたであろうと想像しながら聞いたリスナーは多いのではないでしょうか。
氷川さんには、ゆっくりと休んでもらい、いずれまた戻ってきてくれることを期待したいですね。
【番組情報】
氷川きよし 22年の感謝を込めて 限界突破 RADIO
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(文:ジョブリナ/編:おとなカワイイwebマガジンCOCONUTS編集部)