人気絶頂のなか25歳の若さで急逝した芸人の才能を回顧 生きていたら雨上がり決死隊の番組なかった可能性も

投稿日:2022/05/31 12:01 更新日:

5月30日放送の「証言者バラエティ アンタウォッチマン!」(テレビ朝日系)では、高山トモヒロさんがVTRで出演。高山さんがお笑いコンビ・ベイブルース時代の相方・河本栄得さんについて語り話題を集めました。

千原ジュニア

(画像:時事通信フォト)

■「俺の精密機械になれ」高山トモヒロが河本栄得さんの言葉を明かす

ベイブルースは、ボケ・ネタ作り担当の河本栄得さんと高山トモヒロさんが1988年に結成したコンビ。

さらに、ベイブルースは、デビューから1年目で「NHK上方漫才コンテスト 優秀賞」を受賞するなど賞レースを席巻、将来を嘱望されたコンビでした。

しかし、1994年に河本さんが25歳の若さで急逝してしまいます。

そして、現在、和泉修さんとのコンビ・ケツカッチンとして活動する高山さん。プロ意識の高い河本さんについて「俺の精密機械になれ、一言一句間違わずにセリフを言えとかいう意味だけではなくて、声のトーンとかツッコんだ後の間とか…。俺が指導するから俺の言うた事をその通りにやれっていう精密機械ですね」と指導は厳しかった事を明かします。

高山さんは「彼の言う通りにしたらうまく階段上がれたんで、スッと受け入れる事ができましたね」と振り返りました。

■河本栄得さんがライバル視していたのはあの人気芸人だった

また、高山さんは「千原ジュニアは1期後輩なんですけど、河本くんはものすごいライバル視してました。彼のボケってすごいんで」と証言します。

その事をスタッフが本人に告げると、ジュニアさんは「すごいありがたい事ですけど、そういう風に思っていたというのは後で色々聞きました。ベイブルースさんがちゃんとした事をやる。その次に我々が出てめちゃくちゃする。ほなやっぱこっちがあるからこっちはウケるんですよ。そりゃお前ら汚いでって思いもあったと思います」と当時の河本さんの心情を推察しました。

■気絶頂のなか25歳の若さで急逝した芸人の才能を回顧 生きていたら雨上がり決死隊の番組なかった可能性も

河本さんが25歳の若さで亡くなった事について、高山さんは「一番の後悔というか…彼が25歳と364日で亡くなって、友達同士で入って、芸事をするから仲悪くなって、その後、みんな仲良くなっていくじゃないですか。ギクシャクしたまま彼と別れたんでそれはすごい後悔。あと1〜2年してたら心にも余裕ができて、昔みたいに仲良く仕事できてのかな」と語ります。

一方で、ジュニアさんも「今いたらどうなってんのかなとたまに思いますし。もしかしたらですけど、テレ朝の夜なんか『アメトーーク!』じゃなくて『トークブルース』になってたかもしれないし」と想像しました。

今回の放送について、ネット上では「ベイブルースの特集、いつかやってもらえないかとずっと思っていました。それが叶って本当に嬉しかったです。ありがとうございました」「ベイブルースの特集やってるやん…河本が早逝してなかったら本当に天下獲ってたかも知れないな」「アンタウォッチマンで、ベイブルース特集!嬉しい。そして泣ける」などのコメントが上がっています。

全国区の番組でベイブルースが特集されたのはファンにとって嬉しいことだったようですね。

また、高山さんがもう少し河本さんと漫才をする時間が欲しかったと語る姿が印象的だったという人も多かったのではないでしょうか。

【番組情報】
証言者バラエティ アンタウォッチマン!
https://tver.jp/episodes/eprbukghr9

(文:かんだがわのぞみ/編:おとなカワイイwebマガジンCOCONUTS編集部)

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