夏の終わりの切なさを歌う王道ミュージシャンといえばTUBEですね。TUBEを象徴する歌詞に「ちょいと」というフレーズがあります。夏にまつわる「恋」の「解放感」や「魅せられ」感、「せつなさ」や「やるせなさ」を歌い続けて33年が経つTUBE。もはや夏の全方位を歌詞化したのではないかと思いますが、前田亘輝さんの力強いボーカルとノリのよい楽曲は長らく日本の「夏の恋」を盛り上げてきました。「夏の恋」の激しさも悲しさもTUBEは「ちょいと」を巧妙に使って表現してきました。この「ちょいと」には、「夏なんだから少しくらいいいじゃないか」という挑発や、夏だからといって開放的になってしまう自分への「ちょっとした恥じらい」、「誰も彼も」いつもとは少し違って浮かれている様をからかう表現として実にちょうどよく、失恋して泣いている女性の涙も「ちょいと」が入るだけで、夏らしい風流な絵になってしまいます。夏にはTUBEの歌い上げる通り「ちょいと」何かが起きてしまいそうなのです。そこで、一体TUBEは何回「ちょいと」と歌っているのか非常に気になったので、実際に数えてみました。
これだけ?!驚きの結果に
調査したところ、TUBEの曲には4曲しか使われていませんでした。著作権の都合上、歌詞を載せられませんが、有名な楽曲ですと「恋してムーチョ」で1回。その他は、「波乗りグッとチョイス」「ス・テ・キなサタデーナイト」「夕方チャンス到来」の計4曲で、いずれも1曲あたり1回しか「ちょいと」は入っていませんでした。前田さんのソロでも「You Can't Steal My Heart」の1曲のみでした。TUBEは、たった4曲をもってして我々の脳内に「ちょいと」を刷り込んでいたようです。TUBEを有名にした名曲「シーズン・イン・ザ・サン」にも「ちょいと」は使われていませんでした。さらに調べてみると、TUBEよりも多く「ちょいと」を使っている大御所アーティストがいました。
TUBEの「夏の浮かれ“ちょいと”」と明らかに違うサザンの「ちょいと」
他にも「ちょいと」を使ってそうな大御所アーティストと聞いて、誰もが思い当たると思いますが、「サザンオールスターズ」です。「ちょいと」使用曲数21曲です。しかもそのうちシングル曲は9曲。デビュー曲「勝手にシンドバッド」(1978)にはじまり、「C調言葉に御用心」(1979)、「涙のアベニュー」(1980)、「ジャズマン(JAZZ MAN)」(1980)、「ボディ・スペシャルII (BODY SPECIAL)」(1983年)、「女神達への情歌 (報道されないY型の彼方へ)」(1989)、「フリフリ'65」(1989)、「シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA」(1992)、「イエローマン 〜星の王子様〜」(1999)。最近では、2004年11月24日「愛と欲望の日々」です。
どれもヒット曲ばかりであるだけでなく、70年代から現在にいたるまで全世代で「ちょいと」を使っていました。ここであることに気が付いたのですが、TUBEの「ちょいと」とサザンの「ちょいと」のニュアンスが違うのではないかということです。サザンの「ちょいと」は落語家さんなどが発するようなどこか“粋”や“いなせ”な憂いを表現したような風情があります。ブルースと演歌や歌謡曲などの日本的な憂いの表現とに共通点があることはこれまでも多く語られてきていますが、桑田さんの歌唱法がブルースをルーツにしていることに着目するならば、納得がいきます。桑田さんの唄う「ちょいと」は、場末のバーでうなだれている客が「どうしたんだい?」と聞かれた際に発する「ちょいとね…」や、しゃがれ声の落語家が一席伺っているときの「ちょいと」と通ずるものを感じます。我々が感じているTUBEの「ちょいと」が「夏の浮かれ“ちょいと”」だとすると、サザンの「ちょいと」は「いぶし銀“ちょいと”」と表現してもよいかもしれません。同じワードでも楽曲やアーティストによってこんなに伝わり方が違うなんて驚きです。猛暑はいったん落ち着きましたが、夏を振り返るのにふさわしいTUBEやサザンの名曲を聞いてみてくださいね♡
(文:豊崎ジーン)